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田口のキャリアと起業の背景を知る自己紹介記事です。

田口のキャリアと起業の背景を知る自己紹介記事です。

更新日:2025/09/10

田口のキャリアと起業の背景を知る自己紹介記事です。

こんにちは、HEROESの田口(よっぴー)です。
このページでは、私が起業に至るまでの原体験や、5回の転職を経てたどり着いた今の価値観について紹介しています。
自分らしく挑戦してきた過去が、今のHEROESの在り方につながっています。

目次

1.起業の原点と想い

こんにちは、HEROESの代表の田口です。
私がこの会社を立ち上げた背景には、ひとつの原風景があります。

それは、30歳になって久しぶりに地元に帰省したときのこと。
かつて人通りがあったメイン通りが、見事にシャッター街になっていました。
この光景を目の当たりにして、「少子高齢化」「過疎化」「地方創生」といった言葉が、他人ごとではなく自分ごとになった瞬間でした。

当時、私は浅草に住んでいて、街には外国人観光客がどんどん増えていました。
「この人たちを、東京だけじゃなく地方へつなげられたら——」
そんな思いが芽生えたのです。

そして地方に訪れた人が、ただ観光するだけじゃなく、地域に溶け込み、暮らし、定着していく。
そういう循環が生まれたら、地元も、社会も、もっと良くなるはずだ。
私は、そんな「人と地域をつなぐプラットフォーマー」になりたいと思いました。

もうひとつ、私自身が韓国とのハーフで、幼少期にちょっとした偏見や壁を感じたことも起業の原動力でした。
「誰もが違いを気にせず、自分らしく挑戦できる世界をつくりたい」
その思いが、HEROESの原点です。

2. 僕のキャリアヒストリー(高校卒業~起業前まで)

2.1 初めての就職とITとの出会い

高校卒業後、私はなんとなく工場に就職しました。
正直、ほかの選択肢が思い浮かばなかったし、早くお金を稼ぎたかったんです。

でも、単純作業の繰り返しにどこかモヤモヤしていた私は、高校生の頃から所属していた“イベサー(イベントサークル)”の活動を続けていました。
そこには学生や社会人、大学生など、さまざまな人がいて、「これからはITの時代だよ」なんて会話がよく飛び交っていました。

ちょうどその頃、SNS黎明期のmixiで「足あと」機能を見ていたら、ふと目に入ったのが「FindJob!」のバナー広告。
クリックしてみると、そこには無数のIT系求人が並んでいました。

“場所:新宿、時間:朝10時〜、職種:営業”で検索。
すると、「年収1000万プレイヤーも夢じゃない!」というキャッチコピーの求人を発見。
「これ、完全に俺のための仕事だ!」と迷うことなくエントリー。
その企業がブラック企業だったことも知らずに…笑

2.2 ブラック企業での“地獄の修行”と忘れられない一言

面接を受けて無事内定。
従業員30名と書かれていた会社には、実際5人しかいませんでした。
しかも、同じ部屋にまったく別の会社が同居しているカオスな環境(笑)

その会社は、大学在学中に立ち上がったベンチャーで、平均年齢は23〜24歳くらい。
入社からわずか5日後には、会社に寝泊まりする生活が始まりました。

営業で売掛を作って自分で回収、夜はリストを作ってロープレ、
時には銭湯に行って、帰ってまた仕事して、少しだけ映画見て…という毎日。
荷電数は1日200本超え。心身ともに鍛えられました。

そんなある日、いくつかの案件を同時に抱えて対応が遅れ、クライアントからクレームが発生。
そのとき、社長に言われた一言が、今でもずっと心に残っています。

「なめた仕事してんじゃねー」

当時は悔しさでいっぱいでしたが、今になってこの言葉の意味がよくわかります。
どんなに忙しくても、ビジネスは相手があってこそ。
これは、私の中で今も大事にしているプロ意識の礎です。

3. Samurai Incubate時代:起業家のはじまり

3.1 プレハブ小屋と10万円スタート

ブラック企業を辞めた直後、一本の電話が鳴りました。
相手はSamurai Incubateの榊原さん。開口一番、

「よっぴー、社長やらへん?」

思わず「やります!」と即答。12月の寒い日に地元を出て、電車で桜新町へ向かいました。

「オフィスは歩いて10分」と言われたのに、到着したのは20分後。
そこにあったのは、まさかのプレハブ小屋。

1階は土木建築の資材置き場、2階が住居兼オフィス。ドアを閉めたら反対側のドアノブが落ちるという衝撃(笑)
キッチンには大きなモニターが置かれていて、「ここが作業場だよ」と言われました。

「とんでもない場所に来たな…」と笑ってしまいましたが、ここで私は、サムライインキュベートの**“Mission”**を聞かせてもらいました。「できるできないではなくやるかやらないかで世界を変える」シード・アーリー期の起業家を支援して、社会を変える挑戦を後押しする。
私も高卒で学歴コンプレックスがあったので、学歴に関係なく“やるかやらないか”で勝負する世界をつくりたい、そう強く共感しました。

与えられた最初の仕事は、ファンドがなかった時代の日銭稼ぎ。
商材はまだ世の中に知られていなかったMEO(Googleマップ対策)。
ガラケー時代から数千店舗に導入していただき、先駆けとして頑張っていました。

当時は冷暖房のないキッチンで、ガスコンロで手を温めながらタイピング。
固定給は月10万円、成果報酬頼み。売上ゼロのときは電気・水道・ガス、すべて止まりました。

それでも、「挑戦してる」っていう実感が、毎日を支えてくれていたんです。

今面接したら受からない会社w

3.2 起業家のトキワ荘構想と実現

ある夏の日、福島へ出張する車中で私はふと、

「この夏を今のオフィスで越せる気がしない」とこぼしました。

すると商談後にはすでに、移転構想がスタート。
“起業家のトキワ荘をつくろう”という話になっていたのです。

数件物件を見た結果、小竹向原の7LDKに決定。
私は中野から通い、トキワ荘には熱い起業家たちが集まりました。
中には台所で寝てる人もいました(笑)

この家には、本当に多くの人が出入りして、夢を語り、挑戦し続けました。
今振り返っても、あの熱量と空気感は唯一無二だったと思います。

3.3 韓国スタートアップ「AdbyMe」との挑戦

MEO事業が軌道に乗り、ファンドも始まった頃。
榊原さんがTechCrunch Disrupt(サンフランシスコ)で見つけてきた韓国スタートアップ「AdbyMe(現:チャネルトーク)」の日本展開を任せたいと指名されました。

韓国とのハーフである私は「ぜひやらせてほしい!」と即答。
これは、TwitterやFacebookのタイムラインに広告を溶け込ませる、インフルエンサーマーケティングの先駆けのようなサービスでした。

当時は「#PR」や「#Ad」と明記してもステマ扱いされる時代で、リリースには苦労の連続でした。
でも24〜25歳の私にとって、韓国出張に行くビジネスマンは憧れそのもの。
本当に楽しかったし、今思えばめちゃくちゃ貴重な経験でした。


 

4.1 天王洲アイランドと島オフィス構想

ある日、榊原さんと六本木を歩いていたときに、こんな質問を受けました。

「よっぴー、六本木ヒルズと島オフィス、どっちがいい?」

なぜか私は「ヒルズ」と答えました(笑)
でもそこから話はどんどん進み、最終的に行きついたのは天王洲アイル。
空港にも近いその場所に、日本最大級のコワーキングスペースをつくろうという壮大な計画が始まりました。

当時の構想は、「空港近く=グローバルなスタートアップのハブになる」というもの。
オフィスはすべて手づくりで、ボランティアも加わりながら、
塗装・内装・什器の配置まで、みんなで汗をかいて仕上げました。

私が密かに目標にしていた「オフィスバー」も実現。
まさに夢が詰まった最高の空間が完成しました。

4.2 優秀な仲間たちと世代交代

SSI(Samurai Startup Island)が完成して1〜2年が経つ頃、
会社にはどんどん優秀なメンバーが集まってきました。
気づけば、自分よりすごい人が当たり前にいるような環境になっていたんです。

それは悔しいというよりも、「成長している組織の証」でした。
このままここにいるよりも、次のステージに行こう。
そう思って、私は卒業=転職という道を選びました。

たくさんの出会いと、挑戦と、学びにあふれた日々。
あの島オフィスで過ごした時間は、今でも私の誇りです。

5. セプテーニグループでの学びと30歳での決断

5.1 組織で働く意味と「花の金融」プロジェクト

Samuraiを卒業するとき、実は「出資するから起業したら?」という話もありました。
でも私は、「一度、大企業で働いてみたい」という思いが強く、セプテーニグループへの転職を決めました。

理由はシンプルです。
組織運営、交渉の仕方、大人数でのプロジェクトマネジメント。
そういったスキルやビジネスの型を、もっと学びたかった。

配属されたのは、アフィリエイトを主力事業とするセプテーニ・クロスゲート(CG)。
私はそこで金融チームの立ち上げを任されました。

扱うのはクレジットカード、カードローン、保険、証券など。
最初の売上は月40万円ほどでしたが、在籍中には1億円近くまで成長させることができました。

この時期に学んだのは、「個人プレーではなく、チームで成果を出す力」。
数字を作る、案件を取ってくる、運用する──それを一人でこなすのではなく、
周囲の協力を得ながら結果を出すという組織の力の重要性を体感しました。

5.2 トラブルも、今では笑い話

セプテーニでは“花の金融”と名付けたプロジェクトを中心に、楽しく、そして激しく働きました。
達成度に応じた社員旅行もあり、盛り上がり方はまさにベンチャー。
正直、攻めすぎてトラブルを起こしたこともありました(笑)

でも、そのとき一緒に怒られてくれた仲間たちとは、
今でも飲みに行けば笑い話として語り合える関係です。

そんなセプテーニグループも、30歳を前に退職。
今思えば、もう少し結果を出すまで粘ってもよかったかな…と思うこともありますが、
それもまた、私らしい「行動ファースト」の選択だったのかもしれません。

 

こんな感じのキャリアでしたがいかがでしたでしょうか?

次は起業してからのことを後日、書こうかと思います!